邦楽です。
UAは、一時期うたううあとして幼児番組で歌っていたようですね。
なんだかとっても合っている気がしました。
UAは私の記憶では1996年頃から情熱、悲しみジョニー、甘い運命でブレイク。
しっとりとしたR&Bに、ソウルシンガーのようなふくよかな発声、そこにわかりやすい日本語の歌詞を乗せれば、あの時代にはとても新鮮で、好き嫌いにかかわらず聴き入ってしまった。
自分は声も線が細くてあんな声は出せないし、音楽性も張り詰めたものが性分に合っていたので、真逆の音楽性に、こんな音楽もあるんだなー、こんな風に生きるのっていいなーと、羨望を抱いたものです。
うん。アムロ時代で猫も杓子も細眉な中、ボーボーの眉毛ですから、一線を画していましたね。
あのジャケットのあの眉をを渋谷TSUTAYAで見た女子高生の時のことは忘れられません。
トゲの抜けてきた20代の頃に借りたCDの音源を他の色々な音楽と一緒に聴いたりもしました。
やがて、大人になって生活という日々を歩んでいると、ああいった野性味がなんだかしっくり来るようになります。
野性味、緩さ、濁りといった人間味ですね。
その中で、特に野性味を感じたのが、ストロベリー・タイムでした。
緩さの極みのような曲調です。そして男女の営みを語っていますが、これがまた、恋愛を超えて、子供が出来て産まれるというイメージを強く感じさせられるんですよね。
途中で子供の声が入っているからかもしれませんが。
こんな微睡みの中で、子供という祝福が、やってくるのは良いな、やって来るだろうと、思っていました。
でも、祝福はやってきませんでした。
自然、ではなくて、体のスケジュールを確認の下、医師のチェックも入り、不可避なプレッシャーがその時間に鎮座しました。
私のストロベリー・タイムは、ストロベリー・タイムではなくなってしまいました。
それでも、夫のお陰で、素晴らしい時間であることにはかわり無かったのですが。
ストロベリー・タイムがあって、子供が舞い降りて、という野性味は、遠ざかってしまったのです。
だから、ストロベリー・タイムは手の届かない憧れの曲。
不妊が発覚するまでは、そんな無邪気な野性の中で微睡んでいられた、思い出の曲。
娘が来てくれた今は、手の届かない状況とかもう良いんです。
ただこの曲のゆったりとした野性味が、今は子育てという野性の喜びを歌ってくれる。
癒しというよりもリラックスというよりも、育児の喜びの歌に、今はなっています。




笑顔になれる子育て